December 12, 2010

ヤマトな思い出

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」ヒットしてますね…。オレも初日に観てきました。感想はこちらに書いたんで、ここではファンとして、スタッフとして、「ヤマト」との関わりを思い出してみます。作品の話よりも体験的な方が面白そうだし。

TV「宇宙戦艦ヤマト」

中2の頃、TVで「宇宙戦艦ヤマト」が始まりました。でもオレは裏番組見てたの。「ハイジ」じゃなくって「猿の軍団」の方。ところが学校では「ヤマト」が盛り上がってて、みんなに勧められて見るようになったんです。ヤマトはもう地球を出発してましたが、すぐハマりましたよ。というか、ヤマトオタクでした。本、雑誌、レコード、プラモなどを買ったり、絵を描いたり。今でもソラでヤマト描けますよ。あ、同人誌作ったりもしたなあ。

劇場「宇宙戦艦ヤマト」

1977年、TVシリーズを再編集した劇場版の封切り時には、初めて徹夜して並びました。高2の夏です。地元のTV局が取材に来ててニュースに映ったんじゃなかったかな。名鉄グランドホテルでは「ヤマト」の感謝パーティーが開かれ、ファンとして招かれました。なぜオレが招待されたのかわかりません。この時、西崎プロデューサーに「ありがとう、ありがとう」ときつ〜く握手されたのが印象に残ってます。ささきいさおが主題歌歌ってたっけ。

劇場「さらば宇宙戦艦ヤマト」

翌年の夏に公開されました、東映動画が制作したれっきとした劇場用長編作品です。もちろん初日に観ました。名古屋ローカルですが土曜お昼に生放送の特番が組まれ、ファンとして出演しました。夏休み中ってこともあって、演劇部の合宿中だったんだけど、オレだけ抜け出して東海テレビに行きました。オレの出番は「アテレコに挑戦」というコーナーです。映画の1シーンに合わせて、シナリオを見ながら古代のセリフを言うんです。リハで相手役の麻上洋子さんはシナリオを確認してました。オレのシナリオはありません。ディレクター曰く「だって、ぶっつけ本番の方が面白いでしょ」ってことでした。なるほど。番組が進行し、いよいよ「アテレコ」のコーナーです。司会者が「挑戦してみたい人!」とひな壇に呼びかけると、打ち合わせ通りオレが狂ったように挙手します。指名されてバミリまで行きます。ちょっと遠回りして躓いたりしてダメダメ感を表現したのはアドリブです。医務室で古代が雪を見つけたシーンの映像が流れました。このシーンか…。生放送でぶっつけ本番の始まり。
オレ「馬鹿だよ君は。地球にいれば平和に暮らしていけるのに、こんな危険な旅へ紛れ込むなんて無茶だ」
麻上「私もヤマトの仲間の一人よ。みんなが行くなら私も一緒に、古代君たちのそばに居たかったのよ」
オレ「雪…!」
こんな感じ。オレは本番に強いので、ノーミスで噛みもせず、芝居的にバッチリ決めました。登場のボケ加減とぶっつけの演技力のギャップが好評でした。ゲストの舛田利雄監督が「うまいねえ、ボクの映画に出て欲しいよ!」なんて言ってました。司会者に「麻上さんと共演していかがでした?」と振られたので「森雪役が綺麗な人でよかった〜!」とか返しました。

さあ、以降は「ヤマト」が仕事になりますよ。

TV「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」

1979年の夏休みにCXでOAされた、当時流行のテレフィーチャー(TVスペシャル)です。オレはアニメーターになりたてだったスタジオエイト時代です。制作が東映ではなく、西崎さんのアカデミー製作だったこともあり、制作体制が惨かったようです。あり得ないOA直前の追い込みで、新人のオレも動画を手伝いました。動画マン全員での徹夜で、会社が夜食に出前をとってくれたのはこの時だけです(出前は会社から徒歩45秒ほどにある「やぶ恵」という中華料理店。2階はボロアパートで、そこの4畳半にM田と住んでました)。文字通り、ギリギリまで作業してました。初号もなかったんじゃないかなー。オレがやったカットで覚えてるのは、冒頭のガミラス艦隊やガミラス兵のモブです。モブは勝手にいろんな顔を描きましたよ。セルになったら青で塗られちゃうけど、馬場とか猪木とか超人ハルクとか。OA当日は会社の旅行でした。千葉の民宿でみんなで爆笑しながら見たなあ。

劇場「ヤマトよ永遠に」

1980年、スタジオエイトの解散で、オレとM田は師匠と共にスタジオコクピットに移籍していました。オレとM田は「やぶ恵」から、大泉学園の柏荘ってアパートに引っ越しました。その夏に公開されたのが「永遠に」です。制作は東映動画とアカデミー製作ですが、実質東映ですね、スタッフルームも東映にあったし。師匠が原画を担当してたし、オレも劇場用に慣れてきた頃で、結構動画やったような。この時期、目白通りの横断歩道でトラックにはねられてしまいました。同居のM田に仕事を持ってきてもらって自宅で動画してました。そん時やったので面倒だったのが、ヤマトの第1砲塔から第2砲塔にPANする横に長いカットです。砲塔が回転しながら狙いを定める動画です。難しいし面倒だし。あと、女性キャラ担当の高橋信也さんデザインによるサーシャも面倒でした。作画の指定が細かくて、目とか髪とか線のタッチとかね。チェックも厳しかったと思います。動画クレジットのコクピット枠は先輩まで。初号試写観に行ったけど、劇場でも観たはず。

TV「宇宙戦艦ヤマトIII」

アカデミー製作は東京動画って名前に変わったものの、制作体制は醜いままだったんじゃないかな。これがコクピットの近所にあったことから、動画の仕事が入ってきてました。ある夜、帰ろうかと思ったら東京動画の進行がカット袋をどっさり持って来て「動画助けてください、社長には明日話しておきますので!」オレとM田はいやいやながらも動画枚数を稼ぐために引き受けることにしました。カット袋の束を2人で分け、徹夜でがんばったんです。まあ、大して枚数上がんなかったけどね。

劇場「宇宙戦艦ヤマト 完結編」

オレはTVシリーズの原画マンだったので関わってないけど、初号は観に行きました。コクピットの動画マンは新人からベテランまで35人全員がクレジットされてましたよ。
投稿者 A.e.Suck : 06:11 AM

August 16, 2010

F-siteセミナー アニメーターの話

2010年8月7日のF-siteセミナーで使用したスライドです。多少補足を加えてあります。伝統的な手描きのアニメーター職について話しました。この他は「こんなFlashアニメーターはいやだ」のコーナー、31周年記念原画担当作品歴MADの上映、「エンディングを見てみよう」のコーナーなどですね。タイムシート、動画用紙、レイアウト用紙、タップの現物も見せました。FlashのセミナーでFlashの話をしなかったのはたぶん二度目かな。スライドだけFlashですw

こんなFlashアニメーターはいやだ

  • ライブラリにアイテムがない
  • ライブラリのアイテム名がすべてトゥイーン+番号
  • モーションとアニメーションの違いがわかっていない
  • 変形の中心点が基準点だと思っている
  • 絵コンテに従わない
  • SWFが異常に重い
  • 納品が必ずFLV
  • 打ち合わせに母親同伴で来る
  • 打ち合わせに子供連れで来る
  • 打ち合わせ後消息を絶つ
  • マクロメディアのサポートに電話がつながらないと怒っている
  • Flash 2Jからバージョンアップしていない
  • 電気を止められている
投稿者 A.e.Suck : 04:45 PM

May 16, 2010

31周年

31周年1年前のエントリー30周年では、アニメーター初日を振り返りましたので、今年はそのプリクエルです。前に書いたように、ある人の紹介で業界入りしたんですが、その恩人はいまだ現役のベテランアニメーターで、マイティ井上さんとしておきます。話は1977年まで遡ります。

マイティさんとの出会いは、高2の夏だったと思います。三越名古屋店はその頃、オリエンタル中村というデパートだったのです。そこで「夏休み子供アニメ教室」ってイベントやってました。講師は「キャンディキャンディ」の作監ということで、友人のM田と見に行きました。いい年なのでアニメ教室を遠目に見て、休憩時間に講師の方を伺いました。マイティさんです。名前はTVで知ってました。1965年に東映動画の狭き門を突破して入社し「わんぱく王子」の動画から担当したベテランです。「こういう仕事に興味ある?」と聞かれ「あります」と答えました。「そうかあ、僕、育てたいんだよなあ。じゃあ、明日は星ヶ丘店にいるから絵見せて。ラクガキでもいいから。描きためたのあるでしょ」ということで、突然アニメーターへの門が見えてきて、この瞬間アニメーター志望になりました。アニメーターになりたくて活動していたわけでもなく、降って湧いたんです。

そもそもアニメーターという職には疎かったです。巧いアニメーターの名前は大勢知ってましたが、雲の上の存在というか。高校の友達が「アニメーターになりたい」ってのを聞いても、現実味を感じませんでした。まったく遠い世界でまるで接点もないし、なれるものだとは思ってもいませんでした。それよりは吉本に入りたかったんですよ、その頃は。でも、なれるもんならなりたい。絵を描くのも好きでだし、映画も好きだし、アニメも好き。それが仕事にできるなら凄いことだと。ダメモトで絵を見てもらおう!描きためた絵なんかないですから、その日は徹夜でラクガキをいっぱい描きました。デッサンぽいものや、アニメの模写などをラクガキ帳に描きました。翌日はM田と絵を持って会いに行きました。プロに絵を見せるなんて恥ずかしくてドキドキです。二人とも「始めるなら早い方がいい。高校卒業したら東京においで」と言われました。門は開かれました。もちろん、親は反対しました。今度はオレとM田がそれぞれオカン同伴で東京に会いに行くことになりました。

待ち合わせ場所はひばりヶ丘ボウル。ロビーに到着すると支配人らしき人が「マイティさんはこちらです」と案内されました。マイティさんはゲーム中でした。マイティさんの輝かしい戦績も展示されていました。マイティさんはセミプロのボウラーでもあったのです。マイティさんに会うには家よりもひばりヶ丘ボウルだし、連絡をとるにもひばりヶ丘ボウルでした。アニメ業界では、ボウラーとして知られていたようです。その後マイティさんのお宅へお邪魔すると、奥さんと娘さんがいらっしゃいました。決して広くはないアパートには、ボウリングの大会で獲た景品やトロフィーがズラリ。二人の親は不信感が募りましたが、マイティさんの熱心な説得と自信に、半信半疑のまま「よろしく」みたいな方向になりました。進学のために通っていた河合塾も退学し、高校卒業までの1年余り、デッサンにいそしむことになりました。
アニメーターになるにしても、親は心配だったようで、専門学校はどうか?ということになりました。そこで、翌年からアニメーション学科が新設されるという東京デザイナー学院名古屋校にオカン同伴で面談に行きました。M田とオカンも一緒です。面談に応じた東デの先生はグラフィックデザイン科の講師で「アニメーターでは食えないから、アニメ科でなくグラフィックデザイン科を選びなさい」ってことでした。それじゃ意味ねえし、マイティさんの「東デに行くより、すぐ始めた方がいい。僕に任せて」というアドバイスに従うことにしました。東デは却下です。

マイティさんに弟子入りするということは、どこで修行するんでしょう?ひばりヶ丘ボウルでしょうか。マイティさんも「育てたい」って言ってましたが、フリーの身。高校卒業を控え、卒業生名簿に就職先を記載しなければならないので、電話で聞きました。そしたら「アーツプロって書いといて」と言われました。アーツプロはアニメの音響プロダクションです。アーツプロ内にマイティさんの仕切りで作画部を設けるってことでしょうか。だから高校の卒業生名簿には就職先がアーツプロになってます。ほとんどの人が劇団だと思ってたようです。

ところが4月になってもマイティさんから連絡はなく、名古屋でずっと待つ日々。上京したことになってますから、友達に見つかると気まずい。でも地下街とかうろついてると見つかったりして、「東京の劇団に入ったんじゃなかったの?」って驚かれました。

やがてマイティさんから連絡があり、見捨てられたんではないことがわかってホッとしました。「アーツプロではなくスタジオエイトになった」とのことで、どんな事情でそうなったかは知りませんが、びっくりしました。ただし、工事してるからもう少し待つように言われました。マイティさんは自分で育てるつもりだったんでしょうが、それができなくなり、エイトにブッキングしてくれたんだと思います。アパートも手配してくれました。

エイトへの受け入れ体制が整い次第上京し、合流したマイティさんに連れられてエイトへ。その日のうちに場所を与えられました。それが1979年の今日です。マイティさんは「たまに様子見に来るから」と言ってましたが、現れることはありませんでした。マイティさんとはその翌年、サンライズのTVシリーズ「009」の打ち上げで再会しました。スタジオエイトではギャラが遅配されるようになった頃です。「エイト危ないんだって?だめじゃない、言わなきゃ」とマイティさん。マイティさんは今もTVで名前を見ることがあり、現役でがんばっておられるようです。しかし、ホームだったひばりヶ丘ボウルも今はなく、どこで投げているんでしょうか。

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投稿者 A.e.Suck : 11:27 PM

May 16, 2009

30周年

30周年1979年の今日、アニメーターという職業につきました。ある人の紹介で、豊島区東長崎にあったスタジオエイトという作画プロダクションに入れてもらったのです。今日でちょうど30周年を迎えました。

スタジオエイトは、東映系の老舗外注スタジオ大手だった朝日フィルムを、そのスタッフ8人が改組して設立されました。仕上部、撮影部、演出・作画部の独立で空いた席を多数の新人アニメーター達で埋めた作画プロダクションです。東映作品がメインでしたが、サンライズやマッドハウスの動画も請けていました。

スタジオエイト紹介された会社なので、来たのは初めて。社長にもこの日初めて挨拶しました。そして2階の大先生、フリッツ・フォン・エリック師匠に紹介され、描いた絵を見せました。ラクガキ帳をパラパラと見られ、こっちはドキドキです。向いてない、帰れって言われたらどうしよう。エリック師匠はレスラーのスケッチに目をとめ、「プロレス好きかよ?」と聞かれたので「はい」と答えました。後でわかったのですが、この会社にはプロレス好きが多かったのです。「高卒なの?まあ、専門学校行ってない分、先入観なくていいだろう。しばらくやってみたら?」ということで見習いとして採用されました。3ヶ月やってみて、認められなかったら諦めるという条件でした。 せっかく名古屋から上京してきたのに、3ヶ月で見切りをつけられる可能性も出てきました。

当時のアニメ業界へのルートは、東京デザイナー学院アニメーション学科卒が普通でしたので、紹介とは言っても高卒の未経験者は異例でした。もちろん、高校の時は東デのアニメ学科へ進むことも考え、名古屋校に相談にも行きましたが、「アニメは食えないから」とグラフィックデザイン科を勧められる始末でした。エイトを紹介してくれた東映動画出身の作監にも「専門学校行かずに業界入った方がいい」と言われたのです。

エリック王国に入門できたものの、見習いということで、与えられたのは動画机ではなく、セル用絵の具で汚れた仕上げ用の机でした。鉛筆削り器もボロボロで、椅子も折りたたみのパイプ椅子でした。隣の席にいるはずの先輩はGWに帰省してまだ戻ってないとのことでした。その先輩が描いたと思われる、ラッシャー木村対上田馬之助の絵が貼ってありました。
見習いアニメーター当時の仕事は、NHKの「キャプテン・フューチャー」と劇場用「銀河鉄道999」が中心でしたが、見習いなのでやらせてもらえません。最初は研修用の動画から始めますが、それ以前に線が全くダメということで、しばらくは線を描く練習ばっかりの日々でした。トッキントキンにした鉛筆で、きれいにトレスする技術の習得です。消しゴムで直したのが師匠にバレるとゼロから描き直しです。線がひけるようになると、やっと課題です。

研修用課題は「グランプリの鷹」の原画コピーにタップ穴を貼ったもので、すず子の振り向き、鷹也の振り返り、鷹也の走り(奥に走って方向転換して手前に走ってくる)の3つです。1つの課題ごとに原画を清書して、中割りを描き、エリック師匠のチェックを受けます。OKをもらうまで、何度もリテークをもらいました。特に振り向きの中割りの正面顔が難関でした。OKをもらうと次の課題に進み、3つの課題すべてをクリアしなければいけません。就業時間は10時から18時まででしたが、クビになりたくないので夜遅くまでがんばってました。

5月末日、師匠にやっと課題のOKをもらい、「やってごらん」と1カット渡されました。「キャプテン・フューチャー」のカットでアメーバの止めでした。動きもなく、ただ清書するだけですが、1日かけて慎重に仕上げました。それが初仕事でした。5月分の請求金額は110円でした。社員ではないですが、給料は最低3万円が保証されていたので、動画1枚でも3万円もらえました。次の目標は月300枚です。
投稿者 A.e.Suck : 12:45 PM

January 05, 2009

1983年



YouTubeで俺が原画を担当したシーンを見つけました。「キン肉マン」第10話Aパートのラーメンマン対ブロッケンマンです。この程度で放送できないってことはないです(笑)。むしろ、放送できるように変えてあるんですから。「アメトーーク」のキン肉マン芸人の回で、バッファロー木村が名場面にセレクトしてたし、当時を思い出してみます。
俺にとっては第3話に続いて、2本めの「キン肉マン」になる。コンテ清書もした。この当時は2クールで終わると思ってたので、まさか3年も続く人気番組になるとは誰も思ってなかったでしょう。絵もシンプルだし、これで稼ぎましょうって姿勢だった。しかも好きなプロレスを描けるので楽しめるぞ、と。

場所は後楽園ホール。元々プロレスはよく観に行ってたので、馴染みの深い場所。レイアウトもそれらしく描いたんだが、背景では思ったほど再現してもらえなかった。

冒頭のラジカセは、当時俺が使ってたソニーのCFS-7ってモデルで、愛称はMetal101。アナウンサーは倉持アナにしたかったんだけど、小林完吾にしろとのお達しが。当時、徳光アナとで日テレの「おもしろまじめ」キャンペーンやってたから。徳光がおもしろで小林がまじめだった。

戦いのカットは、決められた秒数内で自分で考える。原作は参考にしなかった。ラーメンマンの拳法は、ジャッキー・チェンの映画をビデオでコマ送りしながらラフを描いて参考にした。個人的にはどうしてもブルース・リーをやりたかったんで「燃えよドラゴン」から1アクションだけ取り入れた。アニメ的な芝居じゃなくて本物らしいことやろうと。キャメルクラッチは原作無視して、本家ザ・シーク流。

原作はブロッケンマンをまっぷたつにしてしまうという残酷なフィニッシュで、これはまずいってことなのか、アニメ版では手打ちラーメンにするというギャグ表現に変更された。手打ちラーメンを作る芝居は、どうすればそれらしく見えるか悩んだので、実際に手打ちラーメンを見学してきた。だいたい合ってるはず。
投稿者 A.e.Suck : 01:13 PM

September 04, 2008

レイアウト裏話

作画打ち合わせを終えた原画マンの最初の仕事が、絵コンテに基づいた各カットの設計、つまりレイアウトです。レイアウトは一旦回収され、演出や作監のチェックを受けます。OKになったレイアウトが戻ってきたら原画を描き始めます。

レイアウトはアニメーターとしての画力と映像センスがモロに出るものです。初めて組む演出や作監には、自分の実力をさらけだすことになり、かなり緊張します。通常はレイアウトを描いただけでは請求はできません。ギャラは原画に対して払われるからです。ある意味、原画より重要な作業なのに、レイアウト料はタダってのはヘンですけどね。
原画の作業がスケジュール内に終わらないことを「こぼす」と言います。こぼした分は「引き上げ」と言ってレイアウトが制作に回収され、別の原画マンに渡ります。引き上げられた分は、完全に自分の手を離れます。助っ人原画マンに対しては、レイアウトがすでにあれば、依頼しやすくなります。手伝う側もレイアウトしなくて済むからちょっと得です。しかも、うまい原画マンが描いたレイアウトなら原画も起こしやすいし、勉強になります。逆にヘタクソだったりいい加減だったりすると、原画が描きにくいものです。レイアウトからやった方がはえーよ、とボヤきますが、レイアウトは背景との兼ね合いも大きいので変更できません。

俺も手伝いをしたことが何度もあります。仲間同士助け合うのも大切なので、無理でない限り断わりません。その段階ではスケジュールに余裕がないわけで、徹夜仕事が続くこともあります。自分では「こぼし」たり「引き上げ」られたりするのはプロとして屈辱に感じているので、そうならないように気を付けてはいましたが、1度だけ引き上げてもらった記憶があります。沖縄旅行に行く時、出発直前まで仕事しても終わりそうもなく、5カットだけレイアウトを渡してお願いしたんです。このときは、5カット分のレイアウト料を請求したかもしれません。
投稿者 A.e.Suck : 07:36 PM

November 11, 2007

原画マンの仕事

原画の仕事は動画とはガラッと変わる。元になる絵はない。真っ白い紙に絵を描き始める。文字通りゼロからの作画だ。まずは演出や監督との打ち合わせ。外に打ち合わせに行く場合、交通費は自腹。出ることもあるけど自腹。だいたい、アニメーターに必要な経費って自腹が基本。

打ち合わせは数人の原画マンが参加して行うこともあれば、個別に行うこともある。キャラ表(レギュラー/各話)と美術設定(レギュラー/各話)、そして絵コンテを渡される。打ち合わせに使う絵コンテはパート単位。30分枠のTVならAパートとBパート、劇場用なら、A、B、C、D、Eのようにパートが別れる。1人で1パートまるごと担当することはほとんどなく、パート内で誰がどこを担当するか決まってなければ、割り振りはその時決める。担当するのは通常はシーン単位だけど、場合によってはカット単位だったりする。原画マンサイドから、やりがいありそうだとか挑戦したいとか面白そうな箇所を見つけて「このシーンやりたい」って申告することもあるけど、演出サイドから原画マンのスキルを見据えた上で「このシーンやって」って場合が多い。原画マンの得意分野などの評価が演出にわかってる場合ね。割り振られたシーンが不満なこともあれば、期待に応えようってこともある。

打ち合わせは絵コンテを読み合わせながら進める。演出が絵コンテの意図を原画マンに伝えるのが主目的。それについて原画マンは質問や確認を行い、演出は作画表現の注文をする。作画上や設定上の注意事項なんかもメモっとく。原画マンから演出に対して、より適切な提案をすることもある。

打ち合わせが終わったら、レイアウト作業に入る。すでに誰かが描いたレイアウトが支給されることもあるけど、通常は原画マンがレイアウトを起こす。真っ白い紙から始まるってのはこの作業。絵コンテに従って、レイアウト用紙に描く。レイアウトってのはキャラと背景の大ラフ。背景原図とも言って、背景の下絵になるので、しっかりパースをとりながら鉛筆で描き、キャラ部分は色鉛筆で描きこんだりする。キャメラワークがあれば、その指定も書き込む。FollowPanやPANなどは、レイアウト用紙をセロテープでつなげたりして必要な背景サイズで描く。背景とキャラが密接に関わる場合は組み合わせ線を正確に描いとかないといけない。キャラのラフは、おおまかな動きを数枚描いておく。できあがったレイアウトは演出に提出。演出がチェックして作監がチェック。レイアウトのコピーは背景さんへ。

提出したレイアウトが戻ってくるまではやることがないのでヒマになる。チェックが遅れてたりしてレイアウトがなかなか戻ってこないこともある。レイアウト待ちの間にも作画スケジュールはどんどん消化される。戻ってきたレイアウトには演出の注意や注文が書き込まれ、作監修正が添付されてる。いよいよ原画作業に入る。
原画は絵コンテのカット順に取りかかるのが理想だが、BG ONLY(打ち合わせの段階で背景さんに行っちゃってもらえないこともあるけど)やトメクチパクなど、簡単なカットから手を付けていく人も多い。いきなり大変なカットでつまづいてるとチェックする演出を待たせたり、動画マンをヒマにすることになっちゃうでしょ。でもカットはつながってるものなので、できる限りカット順に手を付けたい。アクションカットならなおさら。楽なカットから手を付けると、原画アップの押し迫った頃に大変なカットだけが遺って重圧になる。結局、スケジュールに間に合わず「こぼす」ことになれば「引き上げ」と言って、レイアウトが回収され、助っ人原画に渡る。俺もそういう手伝いをしたことあるけど、残り少ないスケジュールで大変なカットばっかしこなすのは大変。こぼしそうな時は早めに引き上げてもらわないと迷惑がかかる。中にはこぼしたまま、失踪しちゃう原画マンもいるけどね。「引き上げ」は責任放棄の要求で、原画マンにとっては屈辱的なはずだけど、全然気にしない人もいて、最悪、信用なくしてホサれることもある。

原画は動きのラフから描く。この時が一番楽しい。レイアウト時にすでにラフが描かれていれば、そのラフを元に原画を描く。原画の作業自体は、動画マン時代に多くの原画に接してきてるわけなので、大体把握済みだ。当然のスキルとしてキャラを似せること、プロポーションを合わせることは必須。同じキャラ表を見ながら描いても、解釈の違いや個人のクセは出ちゃうもので、そのために作監がいるんだけど、とにかく合わせる。その縛りの中でいかに自分の持ち味を出すかが、腕であり、楽しみでもある。鉛筆で描くんだけど、影やハイライトは色鉛筆で描いて塗ったりする。動画マンにはツメの目盛り、注意してほしい中割があれば参考のラフを入れておく。複雑な塗り分けや色の指定など、仕上げさんへの指示も書き込む。原画ができたらタイムシートをつける。タイムシートには動画マンへの中割の指示や、撮影時のキャメラワークを指定する。タイムシートの記入の仕方は決まってる。業界で統一ルールみたいのがある。

厄介なのはFollowPanだ。原画もキャメラとキャラ、背景の関係を計算をしながら描く。これらがピッタリ合ってないと不自然になるからね。キャメラの動きを表現するのに背景を動かすわけだが、その指定がFollowPan目盛り。背景の動き(撮影法)を別紙にコマ単位の目盛りで指定する。カットによってはかなり複雑になる場合もあって面倒だけど、映像になった時は迫力十分だ。

原画のギャラはカット単位、秒単位、月契約など。どれが得かは作品による。月契約だと収入は安定するけど、超ハードになるかもしれない。出来高ならやった分だけ金になるので、数をこなせるなら月契約よりは稼げる。全体にカット数の少ない作品なら秒単位で請求した方が得だし、カット数の多い作品ならカット単位で請求した方が得。これは仕事に入る前に決まるので、話の内容や演出の作風によって運・不運もある。俺の場合、カット単位のギャラで請けた仕事で、1パートまるごと1人で原画やったのに、同じく1パートまるごと1人でやった動画マンよりギャラが安くなってたことがあった。直訴して、シリーズの途中で秒単位のギャラに変更してもらったことがあった。まあ、特例ですけど。
投稿者 A.e.Suck : 03:19 PM

July 03, 2007

動画マンの仕事

動画の仕事はカット単位で支給される。カット単位ってのは、タイムシートに原画がはさみこんである状態。どさっと届いたカットの中から、自分がやりたいのを選ぶ。または、特定のカットを直接渡されることもある。新人のうちは、簡単なカットから渡されることになる。「このカットをお願いします」って指名されることもある。「名指し」ってやつだ。凄腕の動画マンなら特定のカットを依頼されたり、安定したクオリティで量をこなし納期を守る信頼できる動画マンにはどさっと任されることもある。

まず、タイムシートの原画欄に沿って動画欄に動画番号を記入していく。つまり原画で指示された「・」を数字に置き換え、動画の通し番号にする。これは以後の工程でも参照される。タイムシートは1枚あたり6秒。7秒のカットなら2枚ある。タイムシートをつけたら原画の清書をする。

原画には作監修正がついていることもある。原画マンの原画に、作監が修正用紙をのせて修正したものだ。この場合、原画の清書時に修正部分を反映させる。中割りは、清書した原画を重ねて行う。タイムシートや動画マンへの指示通りに描く。キャラ表を見ながらキャラを似せ、紙を裏から見てデッサンの崩れにも注意する。中割りは下描きしてから清書するんだけど、下描きなしでいきなり清書できることもある。いわゆる「一発描き」ってやつだ。実線は黒の鉛筆で、色トレスや効果は色鉛筆で清書する。ひたすらキレイに清書する。
動画は出来高なので、納品した枚数を請求してギャラを受け取る。稼ぎたければ、簡単で枚数の多いカットや単価の高い作品をこなせばいい。速く描けば、それだけ数をこなせるが、粗っぽかったらリテークをくらう。当然、ボツ動画は請求できない。

動画は指示通りに仕上げるもんだが、いくら細かく指示されていようと、中割りって、誰がやってもおんなじにはならないわけで、自分なりの表現も可能なわけです。独自のセンスがあれば、時にはクリエイティブなこともする。指示がなければ勝手に原画増やして中割ってみたり、余計なものを描き加えてみたり、独自の解釈でアレンジしたり。でも、それが通るとは限らず、リテークになるリスクが高くなる。もちろん、そうするよりは最低限の要求を満たしながら、数こなしたほうが稼げるんだけどね。冒険するよりは、キチンとこなせる職人に徹して、先のキャリアを考える方がいい。

動画のうちは、いろんな先輩原画マンの原画に接することになるので、原画の描き方やタイミングの付け方を学べるチャンスだ。カンタンなカットばっかしやってたら腕も上がらない。いい仕事をすれば注目され、信頼されるので、次につながる。

投稿者 A.e.Suck : 03:59 PM

June 03, 2007

原画マンと動画マン

ひとくちにアニメーターと言っても、原画マンと動画マンに分かれる。マンをつけるのは、映画業界で撮影マンとか編集マンと言うように、専門職を指すことからきてるんで、「男」の意味じゃない。どちらかと言うと「職人」のニュアンスかな。

世間では原画=オリジナルの直筆画、動画=アニメーションって意味なんだけど、業界ではちょっと違う。簡単に言うと、原画は動きの元になるラフ画、動画は原画に中割りを加えて清書された線画のこと。原画マンは絵コンテに従って原画を作画し、タイミングを決める。動画マンは原画を清書して、タイミングに従って中割りを描いて、動画として完成させる。原画マンも動画マンも、動画用紙に鉛筆で作画する。

アニメーターとして採用されると「新人」と言われる。新人と言っても日本中から絵の巧いやつが集まってるわけで、「絵が描ける」という特技は何の自慢にならない。アニメーターは絵が描けて当たり前なので、その先のスキルが生き残れるかどうかに関わる。
研修を経て、動画マンになる。1年もてば「ベテラン」と言われる(笑)。その頃には多くの新人が淘汰されているはずだ。新人のうちにアニメーターとしての資質を見極め、「向いていない」「才能がない」場合は、辞めるから。その判断は自分で決めることもあれば、先輩原画マンや社長が宣告することもある。

動画のキャリアを積み、実力が認められたら原画にステップアップするチャンスが与えられる。または、動画より原画向きと判断される場合もある。ずっと動画専門でいく動画マンもいる。動画の仕事に向いている人や、主婦業を兼業しててマイペースで働きたい人は、原画にはならず動画のままだ。動画マンは原画マンのアシスタント的に見えるかもしれないが、実は立派な専門職だ。ベテラン動画マンだと、上がってきた動画の検査や修正をする「動画チェック」の仕事もある。同期の動画マンの中では、生き残り競争の次にくるのが原画昇格の競争だ。目安は月1000枚を達成するか、2年の動画経験だ。

原画になったら、最初からまとまった仕事を任されることはないので、動画の仕事と並行して行う。原画は動画と違ってゼロから描き始めるので、クリエイティブなんだけど、自分の画力やセンスがモロに出るので、「天才アニメーター」でなければスランプに陥りやすい。他の原画マンとの競争も激しい。キャリアよりも実力の世界なんで、「巧い」「スケジュールを守る」「得意分野」で評価される。

原画マンの仕事は原画だけじゃない。「作画監督」いわゆる作監は、原画マンを統括するポジション。原画から昇格してなるんだけど、原画向きな人と作監向きな人に別れる。作監チェックは、原画マンの描いた原画に修正用紙を被せて修正したり、原画マンが上げてきたレイアウトをチェックしたり。劇場用なんかでは、「総作監」や「作監補佐」を立てて、作監チェックを分業することもある。

「キャラデザイン」はアニメ用のキャラ表を仕上げる仕事。作監クラスで、しかも実力がないとやらせてもらえないし話もこない。「絵コンテ清書」は絵が描けない演出家が切ったコンテを清書する仕事。絵だけでなく字も読めるように清書する。演出は絵が描けなくて当たり前の時代もあったが、字も読めないのは始末が悪い。

稀だけど「版権イラスト」の仕事もあったりする。ポスターやグッズなど、印刷物がメイン。アルバイト感覚でいいギャラもらえるのでありがたい。

投稿者 A.e.Suck : 02:42 PM

April 14, 2007

アニメーターって何だ?

鳥山明が「Dr.スランプ」でブレイクした頃の話。俺のオトンと鳥山明のオトンは同級生でさ、同窓会で会ったんだと。オトンが言うには、「鳥山が「ウチの息子、漫画描いとるがや」って言うもんで、「ウチの息子もだがや!」って言ったった」

ウチもって、漫画家とアニメーターは違うんだよ、全然。恥ずかしい〜!そうなんです、身内ですらアニメーターって職業をよくわかってないわけよ。謎な職業だったんだと思う。

その後、新人指導のために、1ヶ月くらい名古屋に出向して原画やってた頃、会社で徹夜してたら、オトンが夜食を差し入れに来たんだ。しかもオカンや弟も一緒だった。家族総出で夜中に見学とは。どんな事やっとるのか見たかったんだろうねえ。
イヤだったのが、名古屋に帰省した時に、家族とか親戚とかに「今はどんなアニメ描いとるの?」って聞かれること。すんごい抵抗あった。アニメ業界では「今、何やってんの?」って聞くのよ、みんな。そしたらスンナリ作品名言えるんだけどさ。

あと、よくある勘違いが、「アニメは漫画家が描いている」という誤解。これ、漫画家とアニメーターをごっちゃにする原因。手塚治虫の影響か?それと「アニメーターはセル画を描く」という誤解。後者は特に多かった。「アニメーターやってます」って言うと、「セル画描いてるんだ〜」って言われるんだよね。ここで、「いや紙に描いてます」ってゆーんだけど、アニメの作画フローから説明しなきゃなんないから面倒なんだよね。今はセルそのものを使わなくなったから、「アニメーター=セル画描く人」とは思われないだろうけど、昔はさ、アニメーターって言葉は知ってても、その仕事内容までは、今ほど知られてなかったんだよな。税務署でも当時は「アニメーター」じゃ通じないから「画家」で申告ですよ。

一般にはマイナーな「アニメーター」って響きもヤで、名刺の肩書きは「原画」にしてた。ハリーハウゼンやフィル・ティペットみたいなモデルアニメの人もアニメーターだから、区別したくて「カートゥニスト」って名乗ってた時期もあったよ、浸透しなかったけど。

まあ、そのうちアニメーターが原画なり動画なり仕事してる風景がTVで紹介される機会が増えて、イメージしやすくなっただろうけどね。俺も昔出たよ、日テレ。原画描きながら説明するの。でも、俺の机じゃないし、仕事もダミーだったからヤラセだけど、視聴者にはアニメーターの仕事が伝わったんじゃないかな、と思ったら30分くらい収録したのに、1分しか使われなかった!ほとんどカットかよ!

まあ、そんなわけで、アニメーターって職業について、ちょくちょく書いてみようかと。

投稿者 A.e.Suck : 12:50 AM

June 11, 2006

いらっしゃいませ

いらっしゃいませデパートのインフォメーションで客が売り場をたずねるシーン。受け取ったシナリオではまず案内嬢が「いらっしゃいませ」と言う。 さて、この「いらっしゃいませ」の芝居だが、おじぎさせるかどうか?そもそも「いらっしゃいませ」なんて言うか?プレスコなんで、すでに音声データはあるんだが、これは悩んだ。コンテ切る前の資料集めで、新宿の京王と小田急のインフォメーションの写真を撮ってきたが、応対までは見てこなかった。 ネットでヒントを探したら、デパートではないけど、受付の接客マナーみたいなのを見つけた。座ったまま接客する場合は、おじぎをしてから「いらっしゃいませ」と言うらしい。おじぎしながらだと声が聞き取りにくくなるからだと。なるほど。これは使える。そこで、おじぎした後「いらっしゃいませ」と言うアニメーションにした。できあがったムービーを再生してみると、違和感があった。客はやってきてすぐ質問するはずだから受付嬢は挨拶しないはずだと思ったから。しっくりいかんので、偵察に行くことにした。
バスで東急百貨店前で降りれば目の前に東急本店。エントランスを背にした理想的なインフォメーションだ。案内嬢は2人。張り込んでると、客が次々に聞きに来る。客が来て聞く、案内嬢答える。これだけ。やっぱこれだ!おじぎも「いらっしゃいませ」もなし。胸がス〜ッとした。帰りのバス停は西武百貨店前から。ついでに渋谷西武のインフォメーションも見てみた。客を前におじぎしながら小声ながらも「いらっしゃいませ」と言った!たしかに言った!次の客にも言った!なんだ、コレもアリかよ…。結局ムービーは修正せずに、おじぎしてから「いらっしゃいませ」のままにした。
投稿者 A.e.Suck : 07:14 PM